遠江伝承文芸映像詩

半農半術で創造的に生きていく諸術探究編

遊星からのコロナX

 コロナウィルスの恐ろしさの一つに、無症状で感染している事に気がつかずに、いつの間にか周りに感染させてしまう事がある。この感染系が自分の周りに起こった時には常時他人を警戒しだし、家族までも終いには自分自身に対しても陽性を疑う事にもなりかねない。

 今回のウィルスパンデミックを目の当たりにし、昔読んだ小説を思い出した。

邦題は「影がいく」という海外の古典SF短編である。舞台は南極、エイリアンに次々に体を乗っ取られていく越冬隊員たちの話。エイリアンは細胞レベルで同化するため、誰がエイリアンなのか判別がつかない。更に乗っ取られている本人にもそれに気づかないのである。本人自身も含め誰がエイリアンなのか疑心暗鬼に陥る救い用のない絶望まっしぐらな物語だ。三度(内一作は前日譚)映画化もされている。小学生の頃だったか、TVで放映された。得体の知れないグロテスクなクリーチャーに度肝を抜かされ恐怖を飛び越えてトラウマになった。因みに映画の邦題は「遊星からの物体X」。監督はジョン・カーペンターという低予算B級映画の帝王。SFX担当はボブ・ボッディン。主演はカートラッセル。

 物語に出てくるエイリアンと戦う戦う人間たちの心理がどことなくコロナvs人類の状況と似ている気がしてならない。さらに、この物語(原作だったか映画だったか定かでないが)の中で「エイリアンは冬眠して春の救援隊を待つが、人間は死ぬだけだ」というセリフがある。コロナに限らずウィルスというものも人類が滅びるような大災害が起ころうと決して滅びることはなく環境に適応しながらじっと次の機会を待つ”モノ”である。

 物語では、人類はエイリアンには勝てないと結論付けられており、敵対しても不可能だと示唆している。原作では共存的なニュアンスも出ている。

 衛生環境等対策は行う必要はある上で、本当の戦いはウィルスを撲滅させることではなく、我々自身や他人への不信、差別、疑心暗鬼の撲滅だと言いたい。

 小松左京の「復活の日」のテーマには”理性”だと言われる。

 ウィルスとうまく付き合っていくには他人への思いやりや己を信じる気持ちが大切ではないか。

 どうもそう考えることがシンプルで最良と考えた。

 

 

 

遊星からの物体X (字幕版)

遊星からの物体X (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video