昔、小夜の中山の東を流れる川から菊花紋の石が沢山採れたそうだ。この石は菊石と呼ばれ白菊姫伝説の基にもなった。ここの川を菊川と呼ばれるようになり、地名も菊川と名付けられるようになっていった。
またこのあたりは菊川の里と呼ばれていて、源頼朝やら、藤原宗行、日野俊基らが足跡(歌)を残している。動乱の時代を匂わせるロマンな地でもある。
江戸期に入ると、この辺りでは「餅あめ」が振る舞われていて、大変人気があったそうだ。
それは餅を一口大に焼き上げ、それを皿に並べて子育て飴(水飴)をかけるという物。
ここ近年は、昔のものが見直されているブームである。これに肖って復刻「餅飴」は食べられないものか。